幼稚園編

 

娘は極端な程、集団に恐怖を感じていた。
だから、自然に幼稚園は入れるつもりは無かった。


たまたま、とある幼稚園の園長と出会った。園長先生は娘を一目見るなり、

「ご両親のご苦労、お察しします。」と言われ、
「私に預けてくれませんか?」と言われた。


私も主人も悩んだ。その幼稚園はいわゆるマンモス幼稚園、園児の数が半端ではない。

一番反対したのは、兄である当時小学校1年生の息子だった。

小さい頃から、一番近くでYuinaを見てきた息子は園長先生に


「Yuinaが辛い思いをする!!」とくってかかった。


園長先生はそんな息子の手を取り

「園長先生を信じてちょうだい。おにーちゃんが心配ならいつでも園に見に来て、確かめてちょうだい。」と言った。


その姿に任せて見ようと決心をする。


2年保育の年中さんから幼稚園に入園

案の定、娘にとって入園式は恐怖の渦だった。

担任の先生が娘を抱いて私の元に連れてきてくれた。

「Yuinaちゃん、無理することないですから」


娘は私にしがみついて、声も出さずに震えながら涙をポロポロ流していた。

    

少し、園に通うことを後悔したが、入園長先生のご挨拶の中で

「今日、入園したお子さんの中には、知的・身体的障害をお持ちのお子さんもいらっしゃいます。
その事を父兄にも園児達に隠すことはいたしません。

健常の子と障害を持った子が共存でき、
尊重しあえる人間に育てていくつもりです。

もし、ご不満のあるお父さん、お母さんがいらっしゃれば、いつでも園をやめていただいて結構です。」

多少、乱暴な言葉に聞こえたが、園長先生の教育に感銘を受ける。

幼稚園でのYuinaは普通のクラスに席はありながら、1日を理学療法室で過ごした。

娘と先生が1人。それ以外の人は誰も入ることはできないお部屋である。


そこで、2年間『声を出す』訓練をしていた。


遠足は必ず、親同伴だった。


運動会もYuinaは好きな所で、好きな事をしていて良かった。

その頃からおゆうぎの時だけは集団の輪の中心で楽しそうにクルクル回るようになった。
沢山の子供の中で踊る娘を見て、とても感動だった。


発表会の時、歌えないと声を出して泣いた。

初めて、大声で泣く娘を見て胸が熱くなった。

園長先生、辛抱強く『声を出す』訓練をしてくださった療育の先生に心から感謝した。


それから、家の中でも『声』を発する様になった。

猫を見て「なぁおぉ〜〜」

犬を見て「うぉっ、うぉっ」

車を見て「ぶぅぅ〜〜」と物の擬声語らしきものを言う様になった。

          

年長になり、パパ、ママは言えないがおにーちゃんの事を
「ちゃんちゃんちゃん」と呼ぶようになる。


息子はいつもYuinaを膝に置きゲームボーイ(黄色)をしていた。

Yuinaも興味を持ち始め、触りたがるようになり、ピンクのゲームボーイを買い与えた。


いつの間にか息子のゲームボーイを「イイロ(キイロ)」、自分のゲームボーイを「ピーン(ピンク)」と呼ぶようになり、色に名前があることをおぼえる。

ゲームの中から「メロン」「いちご」など果物の名前を覚え始める。

そして、卒園の頃には片言のご挨拶や単語を話すようにまでなっていた。

     

 



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