小学校入学編    

 

多少の集団には慣れた物の、小学校もまた、悩みの種だった。

もう1年、遅ければ学校に入れても良いけど、今のYuinaには無理じゃないか・・・?

けれど、そこは義務教育。
幼稚園の様に思い通りにはいかない。

Yuinaがのびのび通える学校捜しが始まった。

何校もの学校を訪れ、健常のクラス、特殊学級のクラスなどを見学してまわった。
その度に主人は、校長先生に

「うちの娘、来年入学って訳にいきませんかねぇ〜?」

どの校長も示し合わせたように
「無理ですねぇ〜・・・」

今の学校教育は持病で長期入院などの特別の事情がない限り、小学校留年は認められてない。
当たり前の事だとはわかっていた。
だが、やっと幼稚園の300人規模の集団に慣れ始めていた娘を、今すぐ400〜500人規模の小学校に入れるには抵抗があったのだ。

また、普通クラスに入るのか特殊学級に入るのかとの問題もあった。

この時、幼稚園の理学療法の先生が
「今のyuinaちゃんはADHDですが、根深い所に自閉の要素を強く持っている子です。
 健常の中に入れてしまえば、すぐに表に出て来るでしょう
 できることなら、少人数で先生の目の行き届く環境を与えてあげれれば・・・」

この先生はとても娘を理解してくれていた。

校区の学校にも特殊学級はあった。
が、その当時、あまり人気がなかった。
同学年の子供たちは、みな隣の学校の特殊学級を選んでいた。

なぜなら、その時のクラスは2年生が3人。
先生は1人だけだった。
しかも、児童の1人は重度の子で、

「きっと、重度の子で手一杯で、たった1人の先生じゃ目が行き届かないよ」と言われた。

うわさ話では分からない。と、主人と共に見学に行った。
確かに言うとおり重度の子は、まだまだ、手が掛かりそうだった。
しかし、そこの先生と校長先生は、

「人数が少なくハンデの違いがあるからこそ、Yuinaさんの為だけのカリキュラムが作れる」と言った。

今まで見てきた小学校はカリキュラムがあり、そこに子供を当てはめていく物だった。
娘ができる、できないという問題ではなく、『できるように指導していく』というわけである。
多分、それが一番常識的な障害児教育だったんだと思うし、多くの児童を抱えた学級では各々個々に合わせることはとても不可能だった。
が、私たちはこの、『カリキュラムありき』に抵抗は感じていたところだった。

先生の前向きな姿勢と校区と言うことで、先に息子も通っており、他の先生方も娘の事を良く知っていてくれていた事も手伝い、
ここのたんぽぽ学級に入学することを決める。

入学式の日。
娘はたんぽぽ学級としては、たった1人で式に出席した。

沢山の新1年生と少し離れたところで、6年生のおねーさん、おにーさんに挟まれるように入場してきた。
多動の娘はすきあらば逃げだそうと、チャンスを狙っている様だった。

 

 

 

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